石巻・女川 再訪 その2 [旅行]

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・・・前回の続き。
前回のお宿は山の方でしたが、今回のお宿は松島でした。
松島・・・前回バスの車窓から見たのが最初だったので、滞在するのは初めて!
お部屋も前回以上に普通の旅館といったお部屋でお茶セットもあれば、マッサージチェアまでありました。窓からは松島の海が見えました。
夕食も前回はジンギスカンで宴会!でしたが、今回は普通に旅館の夕食と言う感じで、お酒も個々人で頼むスタイル。
そして、前回はツアー企画のNPO「オンザロード」さんの復興支援スタッフが大勢宴会参加だったのですが、今回はスタッフの人数は少なめで、スタッフ以外に石巻の渡波(「わたのは」と読みます)に住んでいらした方お二人が参加して下さり、体験談をお聞き出来ました。
お話の内容はちょっとこういう日記ではうまく書けないので割愛します。
・・・ごく普通に暮らしていた方々1人1人があの日に経験したことの1つ1つがどれほど重みと強烈な記憶を伴ったことであるか・・・
ニュースの記事や映像では決して拾い切れない、深さを伝え切ることなど出来ない。
それをおすそ分けしてもらうことは、個々人で受ける印象や感想は違えど、たぶん、あの震災を自分と無関係でないものとして引き受けて行く、そのきっかけには必ずなるのだと思います。
せっかく松島に来たのだから・・・とがんばって早起きをして、次の日の朝、お散歩をしました。
2日目は、前回と同じ、女川を訪問。
前回とは違うルートで町をバスで回りました。 前回より「すっきり」してしまったように見えるけれど、それはガレキが「町の別の場所に山積み」になっているってだけ。
どらえもんがまだいない現在では、現実に存在する「モノ」を四次元ポケットに入れてなかったことに・・・なんて出来ないわけです。どこかで処分しない限りは。 そんな単純なことを実感させられる光景でした。
そして、なぎ倒された「ビル」はそのままでした。
その後、前回と同じ町立病院の前で地元の若手グループの方々と地元のかまぼこ屋さん「高政」さんに体験談をお聞きしました。
だいたいの内容は私にとってはすでにお聞きしたことだったのですが、こうしたお話を毎回ツアーのたびに話をする・・・それは、とてもエネルギーのいる、大変なことだと思うのです。
それを続けていらっしゃることに、私よりずっと若い人達なのですが、敬意を持ちたいと思いました。
お話を聞いた後は、地元の品をお土産に買って。
前回も訪れた、コンテナのお店は外観が立派になってました。
ここで前回買った、鉢植え、なんとか枯らすことなく(よく枯らすので心配でした・・・)元気です。 今回はペットボトルで育てるハーブを買いました。
高政さんではおいしいかまぼこや海鮮せんべいを今回もたっぷりと買いました。
女川でオンザロードのスタッフと別れを惜しみ、帰京。
かなりの渋滞にいくつも巻き込まれ、かなり長時間のバス旅でしたが、バスの中は1人1人ツアーの感想を話したり、すっかりテーマソングとなった、くるりの「石巻復興節」を大合唱したり・・・で みなさん疲れを見せずに帰って来ました。
今回もとても濃くて貴重で充実した週末旅行となりました。
最後に。
1日目の小学校で、教頭先生にお話を伺ったのですが、その時におしゃっていたのは、「こんな大変な経験をした子供達だから、きっと将来大きな人間になってくれると思います。」ということ。
教頭先生の子供達への信頼の大きさを感じたことがとても印象的でした。
石巻・女川 再訪 その1 [旅行]

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新春伊豆紀行 その2 [旅行]

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伊豆旅行2日目。
この日は、旅のメイン、「伊豆シャボテン公園」!です。
私は、実に3回目。
入場してすぐに、いきなりメインイベント! 「カピバラさんのいい湯だな」です。
今や、冬の風物詩。 お湯に入るカピバラ。
こうですから。
お湯が入るまでは、暖かさを求めてライトの下にいたり、のんびりエサを食べたり。で、お湯を出す音がすると、いつのまにか集まって来て、お風呂に入るカピバラさん。
この日は、ゆず湯でした♪(ま、それはあまり関係ないのかも・・・)
お風呂でも割りと固まる、カピバラさん
今、ここで暮らしてるのは、お父さんとお母さんに子供3人というご一家だそうです。
のんびり~ゆったり~なカピバラさんに対し、見てる人間の方が見えない!だの何だのと殺気立ってる気がします・・・(苦笑)
とりあえず目的を1つ達成して、のんびり、園内を見て回ります。 いやこの日は寒かったです。
シャボテン公園には、大型の動物はあまりいません。象も、キリンも、猛獣系も。 大型でせいぜいバクとか・・・・
その代わり? 割と動物達が自由な感じで飼われてます。
特に自由なのが、リスザル と クジャク。 何しろ放し飼いです。。。 園内全域が生息地・・・
なので、
こんな風に、自動販売機の上にリスザル。
気づくと、至近距離に、クジャク。
もぉ、無防備過ぎます。 楽しい~♪
カンガルーやワラビーのエリアは、柵の中なんですが、広いエリアにこちらが入って行ける形なので、やっぱり、目の前。
お父さん、カンガルー。 お母さんと娘もいて、かかあ天下の一家らしいです(笑)
ギャアギャア鳴いてる、オウムも目の前です。
今回のもう一つのお目当てはハシビロコウという鳥。大型の”動かない”鳥です。
この方、すごいんです。 何しろ、40年前に来日した時にはすでに成鳥だったとのこと。
つまり、御歳、42歳?43歳? ハシビロコウの寿命(って色々不明なとこもあるみたいですが)からしてもえっらい!長寿。
名前はビル。 なので、通称、「ビル爺さん」 寒さが苦手なビル爺さんは、冬は自由に出入り出来る部屋の中でじっとしてることが多いそうです。
ですが、午後のエサの時間には出て来てくれる。 そこをねらいます。
エサの時間が近づいて、ビル爺さん登場。 さすがの存在感!
基本、エサはコイの小さいのを、丸ごと!頭を砕いた後、飲み込みやすいようにくわえなおして丸呑みするそうです。
この日は、ビル爺さん、食欲がなかったのか数匹食べただけで、お部屋に入ってしまわれました・・・
他にもあまりに芸達者なチンパンジーのアスカ(ちゃんと、”ボケ”ます)のショーを見たり、コンゴウインコを腕に乗せて記念撮影したり・・・
丸1日、満喫しました。
あ、もちろん、シャボテン公園らしく、お土産にサボテンも買って。
その後は、伊東までバスで出て
共同浴場の温泉に入りました。なんと!250円
七福神の温泉のうち、弁天さんの湯に入りました。 中は地元の常連さんが多かったです。小さい子もいましたよ。
最後に奮発して、夕食は地魚のにぎりをいただきました。
新春伊豆紀行 その1 [旅行]

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石巻・女川訪問記 まとめ的感想など [旅行]

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石巻・女川訪問記 その2 [旅行]

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遅ればせながら、前回の続き。(遅すぎです・・・すみませんっ)
その後、石巻沿岸部で、被災した自由の女神像やその足元に植えられたフラワープロジェクトによるお花など見ました。
女神像とお花。
満潮に近い時間(&大潮の時期)だったためか、水面の位置があきらかにおかしい・・・地盤沈下だと思います。
夜は、観光会館にてジンギスカンをいただきつつ、ツアーの方々や石巻で活動している、ON THE ROADのメンバーとの交流会。 ON THE ROADのメンバーはみなさん若くてそしてそれぞれ出身や状況は違えど、気持ちのある人達でした。
次の日は女川へ。
その前に、行程表の朝食前に、ラジオ体操とあり、そんなこともするんだと思ったら・・・
それは、ちょっと面白い石巻の言葉(というか東北弁?)のラジオ体操。
ツアーの方が入手したのをパソコンで流しつつ、みんなで体操。きびきびとしたおじさんの声が東北なまりでなんだかほっこりしました。
朝食後、バスにて女川へ。途中まで普通に田舎の風景が続いている・・・と思ったら、気がついたらバスの車窓が左右ともガレキと更地の風景になっていました。
女川町立病院の玄関前にて、病院で療法士をされていて、今は地元の若者グループを作って復興活動もされている方のお話を聞きました。若くて明るい色に染めたショートカットの髪に眼鏡がお似合いの元気な女性。
彼女は当時、病院の別棟にいて、地震があった後、病棟の2階で看護師の補助みたいなことをしていたそうです。外を見ていなくて状況がわからなかったと。
水は海抜16mの病院の1階天井まで来て、下に降りることが出来ず、上に来る人を助けあげるだけで精一杯だったそうです。(ちなみに先々週のブラタモリで岩淵水門の上に上っていたのを見てた方います?あれが17mとゆってたからあれより更に2・3m上ということです)
彼女の家は病院から見下ろせる場所にあり、当時おばあさまが丁度病院の施設にケアに来る日だったけれど、もし家にいたら帰っていたかもしれない。そしたら・・という話もされてました。
震災後は、ずっと病院に泊まり込みで昼夜なく活動していて、ゆっくり休むことも出来ず、だんだん気持ちがいらいらしたり人に優しく出来なくなったそうです。そのことでこの仕事を続けていいのかなど悩んだりもして。
そんな状況が1週間続き、ようやく家(というか避難先のご親戚の家)に戻れるようになり、オンとオフの時間が出来ることで気持ちを取り戻したといいます。とある方に余裕がないと人には優しく出来ないものだと言われてそうか・・と思ったと。
今、彼女は女川復興丸という船に例えた名前の若いチーム(21歳~26歳)を作り、自分達から発信しての音楽イベント、我歴ストックを企画し、女川の復興のため活動しているそうです。
我歴ストックとは、ガレキ=ゴミでなく、そこは自分達の家であり、思い出のつまった物の塊なのだから、つまり自分の歴史の塊でもあるというところから名づけたそうです。 今年の10月に1回目を開催し、来年以降も続けていきたいとのことでした。
このビルは右側の緑のところが屋上。・・・つまり横倒しになっています。
向こうのビルのさらに隣に少し低いビルがあり、そこは屋上までがのまれたそうです。
そこからバスで移動して、女川名物、かまぼこ「高政」さんの工場へ。
小学生以来??の工場見学。 次々とかまぼこが串にささって流れて行きます。 素直に楽しい。
そして、若き取締役の方にお話を聞きました。
まず、YouTubeの映像。あの日の映像です。さっきお邪魔した町立病院と更に高台の神社からの映像。お話では、これは少し加工された映像で、元の映像はもっと生々しく、見ていられないそうです。
この方は当時、会社にいたそうです。会社は高台のため、そこで亡くなった方はいません。が、自宅の家族を心配して戻った方と、ご自宅にいたおじいさまが亡くなられ、会社としての犠牲者は2名とのこと。 お母さんとおばあさんは2階にあがり(というかお母さんがおばあさんを引っ張り上げ)無事だったそうですが。
先ほどの病院が被災したため、女川は孤立した上に医療が壊滅。そのためその後の救援物資の輸送はまず医薬品が優先されました。そのため食料が来ず、高政さんでは出荷前だったかまぼこや製造に使用するために貯蔵してあった水を全部放出。 それでも1人かまぼこ1枚で1週間がやっとだったそうですが、後に町からそのおかげで餓死者が出なかったと言われたそうです。
家が被災したため、やはり親戚の家に家族4人、身を寄せたそうですが、その後食料の配給があっても、もらえるのは元々その家にいた人数分のみ。また日持ちの関係か差し入れのパンなどは甘い菓子パンばかりで、栄養も悪く、しょっぱいものや暖かいものが不足したそうです。
避難所で出会った高齢の女性お二人の話。
お1人は、かまぼこを渡そうとしたところ、いらないと。お腹空いてるだろうになんで?と聞いたら、「お金持ってないから」と答えたそうです。あんな極限の非常の時にも気を使うその心持ちが忘れられないそうです。
もうお1人は、ご主人と家を無くし、ずっと死にたいとおっしゃっていて、もう生きててもしょうがないから・・とかまぼこを食べようとしなかったそうです。そのため半ば無理に食べさせたそうです。
後にその女性も元気を取り戻し、あの時はごめんねと言ってくれたそうですが、元々、明るい周囲を笑わせるような方で、そんな人が死にたいと言うようなそんな状況だったそうです。
女川は、町の8割が被災し、壊滅しました。亡くなった方は住民の1割。震災後の流出もあり、このままでは町がダメになってしまう。 だから僕はもうここに骨を埋めることに決めましたから・・とおっしゃってました。
あまりに被害が大きくて、逆にニュースになるようなエピソードがなく、女川というと原発というイメージから来る風評被害もあり。
女川を気にかけてて下さい、と。 ニュースなどで女川と聞いたら、へんな兄ちゃんがいたなぁと思い出してください、と。
高政さんでは、震災後、従業員が90人に減ったそうですが、地元の雇用を確保しないと、ということろから新たに人をやとい、今では180人の方が働いているそうです。梱包担当の方などはほとんど震災後入社の方だとか。
かといって、高政さんだけががんばっても、企業1つでは町が成り立たないから町にも還元していかないと・・・ともおっしゃっていました。
貴重なお話の後、焼きたてのかまぼこをいただき、あれこれお土産を買い、
焼き立て・・・!
そしてバスは東京へと戻りました。
もう1回だけ続く・・・
石巻・女川 訪問 その1 [旅行]

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中之条&四万温泉 [旅行]

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竹富島の署名活動について [旅行]

去年の秋に竹富島に行った時に、竹富にリゾートを作る計画が進んでしまっているんだという話はちらっと聞きました。
その前に、西表島でやはり大型のリゾートホテルが数年前に出来てしまい、問題というか議論になっているというのを知っていました。
竹富島は西表島よりずっと小さいし、そこに大型リゾートなんて冗談じゃないなと思いました。
でも、その計画がどういうものでどの程度進んでいて、ホントウのところ何が問題なのか・・ってことまではあまり知らなかったというか考えていなかった・・というのが本音でした。
昨日、友人んの日記を見て、今、このリゾート建設に反対している人達が竹富の環境を守ろうという署名を集めているというのを知り、そのHPをじっくり読んでみました。
「竹富憲章を生かす会」 http://taketomijima.org/
竹富島は環境保存その他の理由で島外資本を入れないルールがあると聞いたことがあるのだけど、どうやら今回開発に乗り出しているのは、「星のリゾート」という島外どころか本土のリゾート会社らしい。。。。
(そのルールに沿うためか、一応土地は「竹富島に本社のある」株式会社竹富土地保有機構が持ってるらしいですけど、代表の星野佳路氏は星のリゾートの社長さんその人です)
で、あれ?このリゾートの名前聞いたことあると思ったら・・・


この写真は、去年の9月、母と軽井沢に行った時のもの。2009年にハルニレテラスという遊歩道&ショッピングモール(といっても小さいけど)が出来て、奥には「とんぼの湯」という日帰り温泉もあって。
ハルニレテラスは、ハルニレの木を保護する目的も併せて、地面から少し浮いた形での木道になっていて、木の根っこを踏むことなく木々の間をお散歩出来ます。 とっても気持ちのいい空間でした。
このハルニレテラス・・・がまさに星のリゾートが作った施設なんです。
正直、ハルニレテラスをそれなりに楽しんでしまった私としては今回のことを知って、そのつながりを知って、ちょっと混乱しました。
開発って何だろう、地域を生かすって何だろう、旅行する側の意識とか無知による傲慢さとか。
先日、おさななじみから連絡があって、今年は石垣&竹富に家族で行きたいんだけど、竹富のお宿のことを教えてくれない?と言われました。 ところが、その後で、「うちはお風呂重視なんでそういう宿を候補に挙げているんだけど、そこは夕食がついてないので食べられるお店ってある?」って話がありました。
どこのお宿なのかわからないけど、たぶん竹富のほとんどの民宿は「お風呂が充実!」ではないと思うし、民宿は普通ご飯がついているからあまり夜の「食事どころ」は充実してない(飲み屋さんとか開いてるみたいだけど)
それって、竹富では普通のことだと思うけれど、彼女はそんなことを知らないし、竹富に求めるものがちょっと違うんだろうなぁと思っいました。(結局、お宿は石垣にして、竹富には昼間遊びに行ったら?とお勧めしました)
でも、そういうものを求める旅行者が「悪い」わけじゃないわけで。
あるいは、今年のGWにやはり母と八ヶ岳の方へ行って、去年もお世話になった松原湖の「宮本屋さん」という民宿系ロッジにお世話になりました。http://www.f-miyamotoya.com/
とっても居心地がよくて、松原湖の周辺も(その前の豪雨で湖周回遊歩道の一部が通行止めになってましたが)気持ちよくて。
で、帰りに清里に立ち寄ったのですが、その時に「清泉寮」というホテル&牧場のリゾート施設と、駅前のさびれっぷり(10数軒のモールがそのままゴーストタウン化したまま放置されてた)のギャップにかなり驚きました。

これも、大きな資本とそれが引き上げてしまった後の惨状、個人と企業の違いなどなど・・を考えてしまいました。宮本屋さんみたいな個人ががんばってくれた方が居心地いいなとか、企業が施設を作るのはよいけど、万が一それが経営成り立たなくて引き上げてしまったらどんなにひどいことになるか・・とか。
とりあえず、自分の無知だとか、無力だとか、色々考えましたが・・・・
私は、シンプルな結論として、今のままの竹富が大好きだし、お宿のおとうさん(ご隠居さん)をはじめ、島の人に島を運営していて欲しいので・・・
そういう単純な理由で、この署名に参加しようと思っています。
色んな考えがあるとは思うけれど、もし賛同していただけるなら、協力して下さい。
長文&まとまりがなくてごめんなさい。